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「生麦事件」にまつわるエピソード

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横浜開港資料館で珍しい写真が発見された。

1862年(文久2年)9月神奈川県生麦村で発生した、所謂「生麦事件」の犠牲者、イギリス商人チャールス・リチャードソンの肖像写真が新たに発見されたことを報ずる新聞記事を見た(写真)

 

これは、東海道の横浜鶴見区にあった生麦村付近で薩摩藩島津久光の行列に馬を下りずに紛れ込んだイギリス人3名が藩士に切りつけられ殺傷さえた有名な事件で唯一人殺された人物の写真である。

 

これは名刺サイズのもので立ち姿のリチャードソンが写っている。これで今までは刺殺後のものしか残っていなかったが、生前の元気な頃の資料が発見されたことは貴重である。

 

この事件後、世に言う「薩英戦争」が始まり、薩摩藩が大敗、大きな金銭的負担となったことが知られている。

 

これとは別に、望月洋子著「ヘボンの生涯と日本語」(新潮選書)を読んでいて、その事件の僅かに3年前に47歳で夫人同伴で神奈川の港に降り立った医師で宣教師であったヘボン式英語を日本に広めたJames Curtis Hepburn,1815~1911が急遽現場に呼ばれて、負傷した英国人達の外科的手当に当ったことが判った。

 

幕末から明治にかけてヘボン氏から英語を学んだ有名人は数知れない、大村益次郎もその一人で、ヘボンも日本での英語教育に夫人とともに其の一生をささげ明治政府からも叙勲の栄誉を授かっている。

 

歴史の偶然の一ページの逸話として紹介したい。

 

 

 

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