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何時までも忘れられない人の真心

世紀を越えて昔(1917年)、ロシア革命の混乱期、極東にまで逃げ、行き先を失って悲惨な状態にあったロシアの子供たち、3歳から15歳、約800人、「陽明丸」の船長がウラジオストックで彼らを救いあげ、1920年(大正9年)、室蘭から太平洋、大西洋を横断後、フィンランドに到着後子供たちを手渡し(官憲か民間人かは不明)、結果、子供たちは無事にそれぞれの親の元に帰ることができた。

これを知ったオリガモルキナさん(59)、自分の祖父母が陽明丸上でお互いに知り合ったことが判り心底から感銘を受けたという。

これは自分の存在に関係した事だと知ってからは、僅かな手掛かりでも利用、ロシアの公文書館などで、その手掛かりについて調べていたところ、2009年にサンクトペテロベルクで個展を開催していた金沢市の書家、北室南苑氏に巡り合う機会から、その後の北室氏の手助けで、当時、陽明丸の船長が岡山県笠岡市出身の故人、茅原基冶サンであったことが判った。

モルキナさん”必ずしも良好な関係になかった日本と云う国とロシアが今後ますます親交を深めるべき”と感謝の意を表明している。

19世紀以前に於いては、アメリカの日本近海で遭難した捕鯨船、漁船にその頃の幕府は冷たい仕打ちを受けたが、我々は文政10年(1827年)洋上を漂っていた日本の少年、後のジョン万次郎を助けて、アメリカに連れ帰り、教育を受けさせたことを、アメリカ人のヒューマニティーの真髄のように言いふらしているが、日本人のヒューマニティーも負けず劣らずみさげたものではない。

特に明治23年(1890年)、和歌山県串本で遭難したトルコ(オスマン帝国)の軍艦エルテュールル号の乗船員を日本の漁民たちが献身的に救助に協力したことが縁となり、その後日本とトルコの関係が親密になった事実、第二次大戦中、リトアニアに赴任していた杉原千畝領事がナチスによる逮捕寸前にあった、およそ6000人のユダヤ人にビザを自分の判断で発給したことで、当時命をつなぐことができたユダヤ人から「日本のシンドラー」と呼ばれ未だに語り継がれている。

自分の祖父母を助けた日本の船長、茅原基冶氏の献身的な善行を知ることになった、オリガ・モルキナさん、今後は日露の交流に尽くすことを自分に誓ったとの美しい人間愛こそ誰の心をも打つ美しい話題だと思い、つたないブログながらお伝えすることに喜びを感ずる次第である。

11月7日京都新聞「時のひと」から抽出、写真の掲載に失敗したことが残念だがご興味のある方、新聞記事をご覧ください。

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