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消えた赤い手帳

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アイゼンハウアーに変わって大統領の職に就いたジョン・エフ・ケネディーは大統領としての二期目の途中、1963年11月22日テキサス州ダラスでオープンカーで市内をパレード中、白昼突然凶弾にあたってあえなく死亡した。間もなく首謀者としてオスワルドと云う人物が逮捕され、これで、この国家にとっての一大事件が簡単に終末となるかに見えたが、現実、大統領は一か所だけでなく、複数の角度から狙撃を受けているこtが判明したことで、この時点で、既にオスワルドの単独犯説がひっくり返った。

最初、ダラス警察は、この事件をオスワルドの単独行動と決めつけ、起訴して後、この事件の幕引きを図ったとも思われるが、今度は警察が、オスワルドを移送中、厳重警備の中にもかかわらず、キャバレー支配人、自称ルービーに、簡単にオスワルドは射殺されてしまった。

事件は複雑な様相となり、ウオーレン委員会なるものが結成され数年にわたって検証されたが、結局この事件は事実上迷宮入りとなった。

話題は変わるが、有名な映画女優のマリリン・モンローは大統領とその弟、司法長間を務めた弟、ロバート・ケネディーとも親密な関係にあったと言われている。

実際、ケネディー大統領の誕生日にマリリンは正式に招待され、彼女特有の声で"Happy Birthday Mr.President"と魅力を振りまきながら歌った。しかし、不思議なことにその場にはケネディー夫人はいなかった。

マリリンは1926年生まれだったから、存命ならば今年87歳いいオバーさんになっている筈。

初めは商業写真のカバーガールをしていたが、1947年(21)で早くも、押しも押されもしない、ハリウッド女優となっていた、

有名な腰を右左に振って歩く”モンロー・ウオーク”を披露した作品「ナイアガラ」で彼女の存在は顕著になった。

1954年、ニューヨーク・ヤンキーズのプレイヤー、ジョー・ディマジオと電撃て的な結婚をして来日、わが国でも野球と映画ファンを喜ばした。

夫のジョーが野球の仕事に忙しかった最中、マリリンは暇をもて遊んでいたが、そこえ軍部から、朝鮮戦争に派遣されている米軍兵士慰問の仕事を頼まれて、一つ返事で承諾、マリリンは兵隊の大歓迎を受けた様子が全世界に紹介されたこの様子は筆者も未だに記憶している。

これが夫のジョーの怒りを買い、二人の仲にヒビが入ったとのことであった。

マリリンはその後、54年にジョーと離婚、その後、56年ニヘンリー・ミラーと再婚している。

噂によると、マリリンはその頃から精神状態の不安定を訴えだして、睡眠薬の依存症になったのではと言われている。

5年後、マリリンはヘンリ^・ミラーとも離婚した。

題はその後であるが、ケネディー大統領の実の妹の夫、俳優のピーター・ローフォードのとりなしで、彼の近い友人であったフランク・シナトラ(歌手兼俳優)が大統領にマリリン・モンローを紹介した。その後、ジョン・F・ケネディー(大統領)とマリリンの仲が俄かに接近したと言われている。

モンローは時を同じくして大統領の弟のロバート・ケネディー司法長官ともねんごろになった。

これは、当時モンローの家政婦の証言にもよることなので、ただの噂以上のものがあると思われる。

フランク・シナトラは、マフィアのボスのサム・ジアンカーナーと親しい間柄だったといわれる。

丁度その頃、ケネディー政権がマフィア取締の強化を発表した。これは勿論、サムにとっては大事件と映ったに違いない。

彼女が何時頃から睡眠薬の依存症になったかは確かには判らないが、ヘンリ

ー・ミラーとの関係からか、それとも、彼と離婚した、1961年以後なのか?

そもそも、何が彼女を睡眠薬に頼らなければならないようにしたのか?

それはともかくとして、マリリン・モンローは1962年8月5日に単独で、自宅の寝室で死んでいるのを発見された。

これが、自殺か他殺かは判らないが、彼女の手には電話のj受話器が握られていた。

その後、調査が進むにつれて、生前からマリリンが肌身離さず大事に持っていた赤いメモ帳がなくなっていることが判明している。

筆者の想像だが、その頃の彼女の交際相手はおびただしく多く、込み入った事情にあったことは疑えない事だろう。

彼女がその頃の自分の行動を克明に、赤いメモ帳に記入していたとなれば、これを狙っていた第三者の仕業とも考えられる。

前述の通り、ケネディー大統領はテキサスで、その翌年の1963年11月22日の白昼何者かの凶弾によって暗殺され、未だに確実視できる犯人は検挙されていない。

その後、間もなく、弟のロバート・ケネディー司法長官も、何者かに、演説中の壇上で、狙撃されて死亡した。(司法長官=法務大臣)

あと、10日でケネディー暗殺から半世紀となるが、ケネディー大統領、ケネディー司法長官らに親しい間柄にあった、マリリン・モンローも果して誰かに殺害されたと考えられないことはないが、何分半世紀前の事件で、これらのアメリカにとって捨てがたい重大事件が闇の彼方のものとなる大国、アメリカとは如何に謎の多い不思議な国だと思わざるを得ない。

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