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宇治川電気の由来

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明治23年琵琶湖疏水完成と殆ど同時に京都に於いて水力発電所が産声を上げた。

京都はそれで「チンチン電車」が市中を走り、間もなく全市民の家にもローソクに替わって電灯がつくように」なった。

間もなく、蹴上発電所の建設に尽力した高木文平を中心に、淀川に琵琶湖瀬田口より宇治川を経由淀川上流部に琵琶湖運河㈱らと共同で水力発電所の開設する機運が起きた。

これは内務省の指導を受け、明治39年4月になり建設許可が下された。

これが宇治川電気宇治発電所の発足となった。(明治39年10月25日)この資本金1250万円、当時としては巨大な規模であったと言われる。

初代社長には大阪商船出身の中橋徳五郎、就任技師、高木文平、大阪電灯社長の土井道夫、京都電灯社長の田中源太郎大倉喜八郎ら財界の大物が役員に名をつらねた」。

琵琶湖、瀬田近辺南郷から宇治川」最上流に琵琶湖の水を導き、62メートルの落差で発電する企画宇治川電気が設立され、その後、「宇治水力発電所」の建設が開始され、(明治41年12月)隧道と開渠からなる水路で下流の宇治郷地点まで導水した。

しかし、途中10キロに及ぶ隧道の掘削に手間取り、6年後の大正2年8月、ようやく竣工を迎えることができた。

出力は当時としては日本最大の規模の2万2千140キロワットを誇った。

この電力は京都電灯や大阪電灯に卸された。

この工事は途中に難所が多く工事が大幅に遅滞、その結果、建設費が当初の見込み額をはるかに超えた。従って、会社は明治45年に300万円、さらに、大正2年にも250万円の社債の発行を余儀なくされた。

宇治発電所は宇治川を挟んで、世界遺産の平等院」に面していて建設の初めから周辺の」景観に配慮して始まった。

例えば発電所前に盛り土がされ、平等院側からは事業所が見えないように工夫」がなされた。

今では関西配電に引き継がれていて、赤レンガの発電所建屋などは日本の近代化の遺産として保存」されている。

(写真は宇治川電気記念碑)

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