« 南北戦争以前のアメリカ | トップページ | 光悦会のこと »

タスマニアー3

Dawn_2
昨日、タスマニアの美しい夕焼けシーンをご紹介したが、本日は、同じように雄大でミステリアスな日の出前(at dawn)の数分、東の空が明るくなり、太陽が下から雲を照らす一瞬、周囲の嶺はいまだ黒いシルエット状だが、太陽に輝いた雲の反射で、下を流れるヒューオン・リヴァーの川面をかすかではあるが明るく見せている。

このときは気温が5~10度の寒い朝であったことを記憶している。

イギリスがオーストラリアの統治を始めた19世紀初頭では、囚人の一団を船で運んで、まず着いたのがタスマニアであったったとされる。

オーストラリアは大陸のような大きなところで、当時では、クックが18世紀末に、ここの東海岸に就いたが、内陸の地形や全体の把握がなされておらず、いわばアフリカ大陸のように未知であったために、最初の上陸の場所にタスマニアを選んだことにはそんな理由があったと言われている。 昨日述べたように、ローンセストン(Launceston)に政府官庁を築き、次第に南に下って、ホバート(Hobart)の港の近くに囚人達を収容する場所(Port Arthur)が築かれたと聞いている。

最初の産業は”あざらし”、”鯨”」の捕獲であったらしい。しかし捕鯨をおこなうには大型漁船が必要になるので、初めの頃は専ら、seals huntingをタスマニアと大陸の中間にある「バス海峡」(Bass Strait)で行った。ここは世界でも有数の流れの速いところで、「船の墓場」として恐れられているところである。

今では、メルボルンから対岸のデヴェンポートに”Spirits of Tasmania"が定期的に就航している。

デヴェッボートから西北の景勝地、クレイドル・マウンテイン(Cradle Mountain)を訪れるのも良い選択だと考える。

19世紀にやってきた移民集団は、原住民、(アオボリジニー)達を思うがままに虐殺した結果、タスマニアには現在、アボリジニーはごく僅かしか生存していないのは、如何にも悲しいことである。

 

|

« 南北戦争以前のアメリカ | トップページ | 光悦会のこと »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/304622/53893442

この記事へのトラックバック一覧です: タスマニアー3:

« 南北戦争以前のアメリカ | トップページ | 光悦会のこと »