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諫早開門差し止め判決は事件

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民主党菅直人政権中、決定して、今年の12月21日午前0時開門となっていた(福岡県高裁判決)諫早湾干拓事業(長崎県)に今度は、長崎県地裁が開門差し止めの決定を下した。

 

国会で開門を決めたものを地方の地裁が反対決定をくだしたのであるから、これは事件である。

 

漁業者優先は困る、塩害で耕作が出来ないので我々は被害者だと云う農民の声に地元の裁判所が同意した。これは優柔不断の日本の政治の縮図を見ている感じである。

 

終戦直後、食糧難を理由に日本最大であった秋田県の八郎潟が埋め立てられ農地となり、以後、世界的に貴重な干潟が失われた。

この時は、先ず、国民の食糧の確保が全てに優先と思われていた時代であり、未だ占領下の頃であったと記憶する。

 

筆者の記憶では、園}後、島根県の宍道湖の一部が埋め立てられる噂があったが、良識ある人達の反対で沙汰やみとなってホット、胸をなでおろしたことを記憶している。

 

何はなんでも、米、米の時代は何時の間にか過ぎ去りそれからは、減反の時代となった。

筆者は民主党の下した「開門」決断は立派だったと思っていたのだが、又逆戻りする司法の判断に疑問を持たざるをえない。

 

有明海の諫早湾には自然のままの姿が残っていたが、昭和61年(1966年)農林省の判断で、2533億円をかけて湾の奥に潮受け堤防工事を開始、それが終了したのが平成20年3月に完成したのだから、43年を要した大工事だったことが判る。

 

半世紀近い時が流れ、時代はすっかり変わって国としては減反政策を推奨していた。

しかし43年の間閉ざされていた湿地地帯は、その頃既に乾いた不毛の地面むき出しの状態ではなかったかと筆者は考える。

 

政府としては2533億円の巨額な国民の税金を無駄にしたと云われたくないので、前後の見境なく開門に踏み切り、現在では、そこに農民の既得権益が出来上がっている。

 

完成して2年後の平成22年3月(2010年)、早くも福岡高裁の判決に基ずき、農水省は、堤防排水門を今年末の12月20日に開くと宣言(これは国家決定事項)していた。

 

この重要な国家の決定を昨日(11月12日)長崎地裁が反対の結論を下し、国の決定に反対姿勢を示した。

 

これは正に「事件」であり、今後は、共に優柔不断な、行政と司法の論争になること必定と考える。、

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