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タウンゼント・ハリスとヒュースケンの遺品

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アメリカ東インド艦隊提督ペリーが去ってから2年半後の1856年

(安政3年)7月、アメリカ大統領の任命により総領事としてタウンゼント・

ハリス(Townsend Harris)が軍艦サン・ゼシント号で通訳兼書記のヘンリー・ヒュースケン(Henry Conrad Joannes Heusken)を伴って下田に入港した。

ハリスはアメリカ大統領からの信任状を示し、幕府に連絡して会見を望んだ。

 

幕府の役人らはハリスらの突然の来訪に驚いたが、ハリスの要請で、下田の玉泉寺を仮の領事館としてあてがった。

 

ハリスは日本に赴く前に、日本では英語よりオランダ語のできる通訳が是非とも必要と考え、ヒュースケンを伴って来日した。

 

ヒュースケンはアムステルダム生まれのオランダ人で、ニューヨークで日本でのオランダ語通訳募集の求人広告に応募し、ハリスとはセイロン島で落ち合って日本にやってきた。

彼は陽気で磊落な性質で誰からも親しみをもたれ、日本滞在中はハリスの秘書兼通訳とて貴重な存在ぶりを発揮していたが、来日5年後の1861年1月14日、芝、中の橋付近で突然薩摩藩の攘夷派浪士に襲われ非業の死を遂げた。

 

ヒュースケンは日本に来る時から克明に日記をつけていた。其の中には絵入りのページも多く、下田の玉泉寺の解説図面には克明に「アメリカ国旗」がはためいているところを描いている。

 

そのポールの上にはためく星条旗こそ、ハリスがアメリカに持ち帰りニューヨーク市の記念館に保存されている旗ではないかと思われる。

 

参考:

ヒュースケン画:玉泉寺のアメリカ領事館と,ハリスの寄付でNewyork City Collegeに現存する、当時のアメリカ国旗(Date:Nov.23,1857)

 

 

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