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アメリカ帰化法の変遷

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1800年以前のアメリカ

 

フランス革命(17871799)が勃発し農民下層階級の暴動でルイ王朝が崩壊、其の間多くの王統派や政府の要人らがアメリカに何を逃れた。

 

 

その後、ナポレオンが執政となりヨーロッパを半ば制覇し、多くの人々が大西洋を渡ってアメリカに移民として押し寄せたことで独立(1788年)したばかりのアメリカは急遽、帰化法を議会で成立させ必要としない移民の排除を考える必要が生じたと思われる。

 

 

1790326日、アメリカ最初の移民法(帰化法)"naturalization act of1790

 

の成立を見た。

 

その目的は移民の制限目的で、入国する人たちの「市民権」に或る制限を課することにあった。

 

その条件として、先ず, 善良な白人(white persons of good character)に限るとして、アメリカ先住民、年季奉公人(indentured servant)、奴隷、や自由黒人及び、アジア人をその範疇から除外している。

 

 

”良い性格の白人”とは如何にも曖昧な中世的文言であるが、アメリカが建国以来puritanで新教徒の国であるため、カトリック及びユダヤ教徒たちを良い人間、即ち good character personsでないことを遠回しに表現したのではとも思われる。

 

1790年の帰化法に於いては、移民申請をする以前に一年以上国内に居住した者に限ると規制を設けている。

 

 

 

この場合、市民権を取得した子供も自然に同じ権利が得られるとしている。

 

ところが、1795年には、最初の一年が、5年になり、1798年には14年に延長され、遂に1798年には廃止となり、1802年になり、Naturalization ofにとってかわられた。

 

アメリカの移民法はそれ以後において度々変更されているが、19世紀以後その主な変遷を辿ってみると。

 

 

citizenshipの定義が大きく変わったのは南北戦争後、第14条修正案により、先ず「アメリカ国内に生を受けた者」は其の市民権を得ることとなった。但し、国税を支払っていない先住民(インディアン)、及びアフリカ系黒人は除外された。アメリカ先住民については、1924年になり“Indian citizenship act 0f 1924”で市民権が与えられた。

 

 

 

1952年になり建て前として如何なる人種もアメリカのcitizenの資格取得を妨げないとなっているが、まだまだ一筋縄では解決できない問題があるようである。

 

 

Naturalization Actとは別に、19世紀の中頃、南北戦争終了後の1862年になり、大陸横断鉄道の完成で西部に移民を迎えるべく考えられた、土地を解放して人口の増加で鉄道収入の獲得と、白人人口の増加を狙って考え出されたhomestead Actがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中国の将来を憂慮

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20121110日、中国の富裕層の海外逃亡について、20年後、この国は世界で最も貧しい国になると断言したヒラリー・クリントンアメリカ国務長官のコメントには深い根拠があるように思えてきた。

 

中国では、全土で暴動が年間30万件に及び、不満のはけ口を日本に向ける戦術で糊塗してきた。しかし、こんな姑息な手段は何時迄も続かない。

 

前首相、温家宝の蓄財は略2千億円(米紙報道)NYタイムズ電子版もこれを略認めている。

 

習近平氏が未だ国家副主席であった頃、彼の姉夫婦は北京中民信房地産開発の理事長であったが、国籍はカナダ、弟はオーストラリア在住、。それに実の娘はアメリカ留学中。

 

習近平自身、国家主席になる前から国外に片足を踏み出している姿勢が窺える。

 

過去10年で富裕層の海外逃亡は約2万人、共産党が自認して、公表済みの高級官僚の逃亡者数4000人以上、2012年時点で、持ち出された外貨1000億ドルが明らかになっている。

 

クリントン国務長官の発言は事実に基づいて控えめに発表されているとも伺われ、隣国の事情ながらこの調子で高級官僚やインテリ、富裕層が国を後にしたら中国は実態のない最貧国になり下がることが危惧される。

 

中国は共産主義を標榜する世界で数少ない無宗教の国で、国民が崇拝する対象は「権力」と「金銭」と云う恐ろしい国に映る。

 

原状を観察してもわかるように、再現なく垂れ流し状態で放置される、危険な化学物質を含んだ水によって、飲料水までなくなりかけていると聞く。

浄化装置のないまま放出される石炭の噴煙や車両の排気ガスに住民の健康は日々害され続けていることに政府は真剣に取り組む姿勢を示しているようには見えない。

 

中国の憲法を根拠に人権擁護を訴えている「新公民運動」家、許志水氏(40)が公共秩序騒乱罪で捕らわれ裁判中。

許氏は2012年頃から出稼ぎ労働者の子供に対する教育の機会均等や、政府高官の資産公開等を求める「新公民運動」を開始したとして公共秩序騒乱罪の疑いで拘束され服役中。

もともと国民が均等の富を持てる筈の共産国家で、貧困に苦しんでいる子供に平等の教育の機会を与え、官吏の給与状態を明らかにするように要望することが何故「国家騒乱罪」となるかを為政者が考えるべきと思うのだが。

 

共産党の一党独裁そのものに反対すれば、一昨年にノーベル平和賞を受けた劉暁波氏のように不当に捉えられ幽閉される国家には誰も住みたくなくなるのは当然。

 

最近になって習近平政権は知識人に対する締め付けを強化し、許氏と、その仲間ら、少なくとも20人を逮捕するだけでなく、彼等の活動を経済的に支援する企業家までも拘束した。(産経、1月23日)

 

資産家や知識人を弾圧し、資産を略奪した上、殺戮した半世紀前の「文化大革命」の愚挙を繰り返すことは出来ない。

 

習近平国家主席の親族らが、カリブ海の英領バージン諸島の、タックス・ヘーブン地帯に隠し資産を管理していることが最近明らかになったと、約60カ国のジャーナリストでつくる国際的調査報道機関ICIJ(本部ワシントン)が21日発表した。

 

これによると、習主席の義理の兄弟や温家宝前首相の子息らがヴァージン諸島などに資産管理会社を設立して財産の保全にあたっていると報じている。

 

これら富豪や国有企業幹部らは約2万2千人に上り、2000年以降に中国から流出した資産額は1兆から4兆ドルと推計されている。

 

しかも中国本土の報道機関もICIJに参加していたが、さすがに、昨年11月、中国当局から警告され脱退したとのこと。(前述同誌)

 

世間では“そんなことをしていたなら下に示しがつかない”と云うような事例が正に中国では臆面もなく行われているとは恐ろしい。

 

 

 

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元紅衛兵の謝罪と反省の会

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「毛沢東と宋氏」於天安門(写真)

1月13日付の新京報は宋彬彬氏ら、元紅衛兵約20人は、北京師範大学付属高校に集合し、文革中に紅衛兵の暴行を受け死亡した同校の元副校長、卞仲転氏の銅像に黙とう、懺悔したことを報じた。(産経)

 

宋彬彬は中国共産党軍の長老、宋任窮大将の二女で、文革が始まった直後に紅衛兵組織を作り、教師を攻撃する壁新聞を校内に張り出した張本人。それで副校長を毛沢東思想に反対した人物と認定し、1966年8月5日、無残にも撲殺した。

 

その後、これを契機として、中国各地で紅衛兵によるインテリ層の迫害が始まった。

 

新京報は13日、宗彬彬氏が北京の天安門楼上で毛沢東と会見、紅衛兵の腕章を毛氏に直接つけた歴史的な写真を公表した。(部分写真参照)

 

これは一に、毛沢東が文革運動を奨励し、自分も紅衛兵の一員とし、同運動を推進したと云う証拠写真で、これに対し、今後、中国共産党幹部、特に、習近平代表が如何に答えるかに注目が集まるのではと思われる。

 

21世紀に生を受けたような若年層にとって「紅衛兵」についての認識のない人口が増えつつあるとき、文革で一億人近い同胞が不運な運命に遭遇、又は惨殺された事実を支援こそすれ反対姿勢を鮮明にしなかった軍部及び指導相はどのように答えるのであろうか?

 

紅衛兵のリーダー格宋彬彬氏は天安門上で毛沢東に紅衛兵の腕章をつけ、約半世紀が経過したが、「文革」終了後、渡米、MITで博士号を取得し、考えを変えて、自己の犯罪について、“今、謝罪しないと今後永遠に謝れない”との思い、この度北京に 帰って「文革を反省する会」を開いて過去を反省、謝罪した。

 

これは最近、習近平政権が毛沢東を模倣した政治運動を進めていることを気遣い、「文革」の再来を阻止するべく行った行為は命を賭した勇気ある行動と特記すべきと考える。

 

この「文革」は革命と呼ぶにはあまりにも低俗で、革命ではなく「文化破壊」と「殺戮」に終始したもので、世界中の識者から毛沢東の呪縛から抜け出せない中国共産党に疑問が投げかけられている理由はそこにある。

 

「文革」の幕引きは毛夫人と3名の処刑で終わったと云われているが、文頭に述べたように、それならば何故、毛氏の肖像が天安門に揚がっているかを指導者が説明、国の現状と過去の関係が語られなければならない。

 

紅衛兵が潔く過去の反省をしたが、それに対して国家の言い分を聞かなければ世界は納得しない。

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17世紀讃美歌集に15億円

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去る11月26日、ニューヨークのサザービーで競売に出された17世紀の讃美歌の古書籍が最終価格1420万ドル(約15億円)で競り落とされた。(部分写真)

 

これは、アメリカ東部に17世紀、ヨーロッパから移民達が印刷出版したもの。

AP通信によると、讃美歌集は1640年、マサチュウセッツ州で印刷された1700冊のうちの1冊。

 

これはアメリカで印刷された本としては最古のものとされ、現存するのは11冊と云われていて、そのうちの2冊を所有するボストンの或る教会がこのたび1冊を競売に出品したと云われる。

 

これまでの書籍の落札額としては、2010年、ロンドンで記録した、アメリカ鳥類画家、オーデュボン(John James Audubon,1785-1851)原本の画集、1150万ドルが知られているが、横10センチ、縦13センチほどの僅か1冊の讃美歌集につけられた値段が15億円とは驚きである。

 

高値の落札としては、1994年のレオナルド・ダヴィンチの図解入り草稿の約3000万ドル(30億円)が知られている。(1月14日、産経)

 

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明治の日本外交に貢献した、ヘンリー・デニソン

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日清、日露の戦争(1895-1938)を通じて日本政府はアメリカ人の外交顧問を特別待遇で招聘した為、日本は、これら二つの戦争に勝利し、外交交渉をそつなく乗り切ることができたと筆者は考えている。

 

そのアメリカ人の名はヘンリー・デニソン(Henry Willard Denison,1846-1914)であった。

彼はアメリカ野球の草分け頃に活躍し、今日のMLB創設に関係の深い人物でもあったと言われている。

 

デニソンの招聘に最も協力的であったのは井上馨であって、その主たる目的はペリーの来航以来、欧米諸国との間に不利な条件で締結されていた、所謂、不平等条約の改正の仕事であった。

 

デニソンは1846年(弘化3年)、アメリカ東部ヴァーモント州生まれ、コロンビア・カッレジ卒業後来日、アメリカ横浜副領事であったが、1880年((明治13)アメリカ公使、デ・ロングの推薦により外務省の顧問となった。

 

欧米流外交交渉に不慣れであった生後間もない若い国、日本にとって「外交」こそ最優先の国家事業であると気付き、諸々の条約規約を分析しながら外国と交渉、我が国に最も有利な、例えば「最恵国待遇条件」の手続きを語学と法律、欧米の習慣に手慣れている専門家を雇用して、ことに当らせたことは賢明な手段であったと考える。(但し、国家機密の漏えいについては一抹の不安が拭えない)

 

デニソンはその後、大隈重信、榎本武揚、陸奥宗光、小村寿太郎等の外相のアシスタントとして活躍、条約起草又は改正に具体案を示して政府の手助けをした。

デニソンは「三国干渉」の会議にも参画して陸奥外相に意見を具申している。

 

デニソンの最大の仕事は、日露戦争終結段階でロシアに手渡した交渉文の作成であった。デニソンの条文を目にした英仏らはその卓越した言い回しに驚き、我が国の立場に同情が集まったと云われている。

その時、アメリカ各地を巡って日本の立場に同情が集まるように演説に回っていた金子堅太郎も英文原稿をデニソンに依頼して作成させていたとも云われている。

 

結局、デニソンは日露停戦会議に小村外相と共にポーツマス条約締結の会議にも出席した。

 

デニソンはこの様にして日本政府に貢献したが、何の理由からか表だって彼の手柄や、仕事ぶりを公にされなかったのは何故だったのか、それを思う時、日本の典型的「役人政治」の狭量ぶりを感じずにはいられない。

デニソンは病を得て1914年に日本で亡くなった。

これは第一次大戦勃発の年であり、今年から数えて丁度100年前のことであった。

 

第一次大戦で、日本は頼まれもしないのに、これに参戦、ドイツを山東省から追放、戦後に太平洋のマリアナ群島の日本自治の権利を得たことでアメリカの西進を遮ったとして非難され、後の第二次世界大戦の火種の一つとなったと思われる。

 

デニソンがもし、その後20年生き延びたなら(1934年迄)、日本をあのような悲劇的戦争から救っていたかも知れないと思うと残念でならない。

 

デニソンの叙勲:勲二等(1895年)勲一等(1896年)、死後:菊花大綬章授与等 参照:梅渓昇著「お雇い外国人]講談社

 

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サントリー「天然水の森」事業

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ペットボトル「伊衛門」で好調な売り上げ実績を達成しているサントリーホールディングス、今後工場で使う地下水の水源を育てる目的で、全国各地で森林整備活動「天然水の森」の面積を現在の7600㌶から12000㌶に広げると発表した。(京都新聞12/11‘13)

 

同社によると充分な森林の確保によって、その地域を整備、ひいては社会貢献につなげたいと主張。

同社は、ビール、ウイスキー、ミネラルにウオーターに使う地下水の水源になる全国13都府県で「天然水の森」12000㌶(略山手線内側面積の2倍)を2020年を目標として始めると、その費用には約20億円が必要。

 

植生、土壌の調査や整備計画の立案を専門家に依頼、その間には間伐、枝打ち等を実施してきれいな地下水を生み出す環境を整えることは荒れ果てるに任せている多くの我が国の森林施策に良い先便の役目を果たすと考える。

 

実際、国内の森林は林業従事者の減少で荒れるに任せられている。サントリーの「天然水の森」育成事業は森林を木材生産だけでなく、将来に清い生活水資源確保に利用できる指針となるのではと考えさせられる。

 

隣国中国では“空に吸うべき空気なく、大地に食すべき糧なく、川に飲むべき水もなし”と云う自然環境と聞く。

いくら「富国強兵」を叫んでも、その現状を知るにつけ、時すでに遅しの感がある。

こんな国に誰がしたと叫んでも、土壌が深くまで化学物質に汚されてしまっては今後人が住めない。

 

いくら貧乏でも清い水源に恵まれた日本は住みよい処と考える。

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ロバート・リーと南北戦争

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南北戦争での南軍の将、ロバート・イー・リー(Robert E, Leeは、南部連合の大統領、ジェファーソン・デーヴィス(Jefferson Davis)が、あくまで戦争の続行を指示していたに関わらず、1865年4月9日、南軍に勝機が消えたことを悟り、南部の首都、ヴァージニアを戦火から守るため北軍の将、ユリシス・グラント(Ulysses S, Grant)に対し降伏の意思を示し、5年に及んだ南北戦争を終わらせた。

 

最初、リンカーン大統領に北軍の指揮を引きうけるように懇請されていたにも関わらず、陸軍士官学校の校長の職を辞してまで、自己の生地、南部人を裏切ることを好まず、南軍の指揮官の職を選んだ。

 

写真はアポマトックスの裁判所で行われた終戦会談の場面の写真(左:グラント将軍、右:リー将軍))であるが、敗戦の将リーは、相手のグラント将軍に手を差し伸べ、相手を直視して、毛頭も悪びれることなく、堂々たる姿勢を保っている彼の態度の立派さに驚くばかりである。

これは、当時既に実用されていた写真であり本物のシーンで、周囲には両軍の高官が取り巻いて会談の模様を眺めている。

 

これを見て、我々日本人が思い浮かべるのは、日露戦争での水師営での露軍ステッセルと乃木将軍の会談のシーンであろう。南北戦争は日露戦争の半世紀前の戦争であったが、両シーンには何か中世的な雰囲気が偲ばれる。

 

ロバート・リーはその後、軍人生活にペリオッドをうち、ワシントン・カレッジの校長として後進の教育に余生を捧げた。15年後の1870年の10月12日、大学のキャンパスで心臓麻痺により他界した。(享年63)

 

(リンカーン大統領は同年4月15日,ワシントンのフォード劇場でジョン・ウイルキス・ブース(John Wilkes Booth)の凶弾で暗殺された。

 

 

 

 

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アイホン社の「ピンポン」の明るい将来技術

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昨今の世界各国の最大関心事は「セキュリティー」と云っても間違いない。

本日(1/5‘14)の毎日新聞に、日本初「世界のヒット商品」の見出しで、アイホン社が製造の監視カメラ+ネット+インターホーンの三者を組み合わせたセキュリティーシステム製品が関心を引きつけているとの記事を見た。

 

一読して、何だ、これなら別に何故特報なのか?と思ったが、広範囲の地域を一つのラインで、しかも人手のいらないシステム構築で守ることのできることが判って、成る程と納得した次第。

 

日本では「セコム」こそが最先端を行く防犯専門会社と思っていたが、、この記事を見て「アイホン」(名古屋市)の存在をしることになった。

 

しかもこの会社、アメリカでの販売が好調で、昨年度の売り上げは前年の15.8%プラスの4400万ドルで、過去最大を記録したらしい。

 

それには何と云っても最近、アメリカ各地で起こっている「銃乱射事件」と「麻薬+マフィア問題」、組織犯罪を広範囲で取り締まるためには何か新技術をと考えていた米国にとっては正にうってつけとも思われるシステムと考えられる。

 

このシステム、「監視カメラとインターホーン」を「インターネット」に連携させることによって、来訪者をチェックして入館を可能にする。

従って、衛門係に自分のIDを提示して入る手間が省けるだけでなく、インターネットに連結された100台以上の端末を一つのシステムが、ペンタゴンのような巨大な構造体の保守にも威力を発揮することができると云うのである。。

 

夜間に警備員不在のところでも利用でき、管轄地域の広いアメリカの教育委員会が一括採用するケースも増加中とのこと。

 

企業、病院でも「離れた場所で来訪者を確認できる」ことで最近では引き合いが増える傾向にあるらしい。

 

「アイホン」によると、土地柄、約束なしの来訪者の少ない米国では、インターホーンが日本程普及しておらず、専業メーカーもない状態。

 

技術としては特に目新しいとも感じないのだが、アメリカでは、01年の同時多発テロ以降、インターホーンへの関心が高まっていた処へ、同社製品を使用したクライエントの間で“通話が明瞭で、画像も鮮明”といった評判がたかまり、厳重な警備の必要なホワイトハウスの車両出入り口、原子力空母の館内連絡システムでの検討が始まるとか。

すでに‘12年度にはブランド名を「ピンポン」とし、米国での商標登録を終えている。

それぞれ異なった顧客のニーズに適合させるため、「アイホン」では既に、1500機種に及ぶインターホーンを用意、米国には営業担当者だけでなく、商品企画、設計技術者をも派遣することで商品販売の取引先の充実に努力しているところである。

 

何といっても、防諜を含め、「セキュリティ」に関係する技術にかけては世界の先駆けと思われていた「本丸」のアメリカで、実績を得たことで、今後の当社の未来は半ば約束されたに等しいとの感触をもった。

 

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