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戦争犯罪人とは?

PhotoRaymond Biel:Second Lieutenant, US。Army Air Forces in  1945

戦争行為は残酷、非道である。ただ敗戦国の戦闘員だけが軍事裁判によって裁かれる。

 

日本は連合国によって国際法上不法な侵略を行い、世界の他民族に多大な迷惑を及ぼしたことで、戦争終了後70年間非難されつづけている。

 

 

 

空の要塞の異名をとった大型爆撃機B29は「日本の戦力を根本から絶つ」ことを目的に建造された 戦闘爆撃機で、爆撃の対象を軍事施設だけでなく、木製の日本の民家を目標と定め、焼夷弾を使用、非戦闘員(民間人)を含む日本人の撲滅を目的に非人道的攻撃に使用された。

 

 

 

このようなアメリカ空軍の無差別爆撃により、推定一般市民8万人が焼死、100万人以上が被災、これらはアメリカ軍の重要な「戦果」として、日本爆撃に貢献した多くの軍人が名誉な行為として叙勲されている。

 

 

 

戦争の末期頃には日本各地の港湾・航路に多数の機雷を投下、海上の封鎖で、これを「飢餓作戦」と唱えた。

 

 

 

日本本土爆撃に参加したB-29,総数3万3千機、その内714機を失ったとの報告がある。

 

 

 

我々は今更、70年も前に受けたアメリカの非人道的なB-29による無差別爆撃行為を非難しても仕方がないが、最近目にしたアメリカの雑誌”AMERICAN”(2011年2月号)に掲載されていたアメリカ空軍のB-29のCO-PILOTであったMr.Raymond Biel (写真)の手記を紹介したい。

 

 

 

トルーマン大統領が“これを日本に投下するまでは降伏させるな”と云った原子爆弾投下のいきさつが偲ばれると思い、生々しい真実の告白をそのままのかたちで紹介することにした。

 

 

 

Raymond Biel,Second Lieutenant,US.Army Air Forces

 

“My unit had fifteen B-29 bombers and I was a copilot on one of them. On our first five missions in Japan, we dropped high explosive Fat Man bombs on industrial targets.

 

Our Sixth mission was strange. Because we took off without bomb.

 

We were told to fly over Nagasaki and report the weather back to Enola Gay,

 

plane flying an hour behind us.

 

There were two other planes assigned to similar reconnaissance missions,

 

one went to Kokura and another went to Hiroshima.

 

 

 

All three targets were clear that day..

 

we landed at our base and we shortly heard that President Truman had made an announcement: Hiroshima had been destroyed by a single bomb and if Japan didn’t surrender,other cities will get total destruction.

 

We all started cerebrating .We were thankful to be part of the mission.

 

 

 

このアメリカ軍人の生々しい真実の思い出話を読んで、筆者は、当時、トルーマン大統領の日本をターゲットとした原子爆弾投下戦略は、長崎、小倉、広島であったことが判った。

 

それと、広島を最初の目的地とは決めずに、原爆投下の使命を受けていた「エノラ・ゲイ」機の1時間前に二機の飛行機を飛ばし、これら3都市の気象状態を報告させて、何処でも天候の良好な都市に原爆を投下することに決めていたと考えられる。

 

その理由は、明らかに、爆弾の効果を上空より写真撮影して、調査することにあった。

 

1945年8月6日に於いては、長崎、小倉、広島の3都市とも天気が良好であり、アメリカ側にしてみれば、どの都市に投下しても変わりがなかったこともわかった。

 

広島にはウラン型の「リトルーボーイ」、長崎にはプルトニューム型の「ファット・マン」が使用されたとのことが判っている。

 

 

 

長崎の被爆は同年8月9日であったが、その日、長崎が晴れていて、小倉が曇っていたことで、小倉が幸運に被災を免れたとも考えられる。

 

 

 

アメリカ大統領は爆弾一発で大都市を破壊して廃墟化し、大量の人命殺戮を目的としていたことが判るが、戦争犯罪人とは看做されていない。

 

 

 

 

 

 

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