鋼鉄より強い「人工クモ糸」の産品

Photo_2                      人工クモ糸のドレス公開

日本産業新聞、5月25日によると、「スパイバー」(山形県鶴岡市関山和秀社長)は24日、人工合成したクモ糸で作った繊維を量産化すると発表したとある。

大学発ベンチャーのこの会社、自動車部品メーカーの小島プレス工業(愛知県豊田市)と工場をもち、2013年中に月間100キロニューオルリーンズ糸を生産する。

実は蜘蛛の糸は、鋼鉄より4倍程強く、ナイロンよりも柔軟なことは予てより知られていて、「夢の糸」とされていた。

しかし、蜘蛛を使って蚕のように糸をつくることは、蜘蛛が縄張り争いや、共食いの習性を持つことから、今までその工業化は困難とされていた。

これは、単純な微生物にクモ糸のタンパク質が作れるよう合成した遺伝子をバクテリアに組み込んで培養し、タンパク質を生成することに成功と云う夢のような話。

この度、その紡績技術も確立、合成クモ糸の量産が開始される運びとなった。

クモ糸は高強度で、しかも伸縮性に優れているらしく、今後は自動車、医療業界など幅広い採用を見込まれているとのこと。

早くも、量産化にむけて、人工合成したクモ糸を使って青色のドレスを製品化、24日に東京の六本木ヒルスで発表された。(写真)

同社では月間100キロをサンプル出荷できる体制を整え、2015年には年間10トン迄生産規模を引き上げる計画。

関山社長は、「世界で初めての技術を立証でき、その工業化が視野に入った」と説明。

スパイバーは遺伝子や分子の配列を見なおしたクモ糸を独自で開発した製品。

今後は、タンパク質をつくれる微生物の培養効果を高め、人工クモ糸を紡ぎ繊維にするまでの量産技術を確立する計画。

低コスト化が進めば、自動車用部品、人工血管など幅広い利用が見込めるとのこと。

「スパイバー」は慶応義塾大学発のベンチャーで、2007年9月の設立。同大、先端生命科学研究所(鶴岡市)で学生         だった関山社長らがクモ糸に注目、それを新たなバイオ素材と位置付け、それの量産技術を研究、関連技術を含め、既に16件の特許出願済みとのことである。

これの確実な進展を希望してやまない。

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アメリカ最初の人工運河

250pxgreat_dismal_swamp_canal                                       Dismal Swamp Canal,N.carolina

アメリカ合衆国は東西に長く、南北に短い形をしているが、東にはアパラチアン山脈、西にロッキー山脈があり、その中間は荒野と草原と砂漠である。そのほぼ真ん中を北から南に流れるミッシシッピーに向かって大小無数に近い川が流れ込んでいる。

この多くの川の源は東西二大山脈及びカナダからもらう雨水と雪解け水である。これらの水源、水流を利用して文明は東から西に広がったと云える。

独立以前から、この国では数多の運河が造られ、それらを利用して人と物質の輸送が盛んになった。

初代大統領のジョージ・ワシントンが土木技師であったことは我が国ではあまり知られていないが、17635月、ワシントンは大ディスマル沼地(Great Dismal Swamp)を最初に訪れた際、ここから(South Mills,N.Carolina)地面を掘り下げて35キロ程を運河としてヴァージニア州のチェサピーク湾に流すことを提案、その後、12年の歳月を費やして、国の最初の運河が完成した。

1784年、運河会社が創立され、9年後にようやく工事が開始された。すべてが手作業で、岩盤を削って35キロを掘り進むことはさぞや大変な工事であったに違いない。

この工事に携わったのは勿論、黒人奴隷、周辺のオーナーから狩あつめられ、12年の歳月を経て完成した。(1803)

常識で考えて、この工事は恐らく一大難工事であり、完成までに、さぞや多くの犠牲者を生んだのではと想像するが、こんなことはアメリカ史の表面にはでてこない。又、ワシントンの没年は1799年なので完成した時には既にワシントンはこの世にはいなかった。

その後、運河はアメリカの至る所で造られるが、それらの運河を繋ぐために陸上輸送を円滑にするため、各地で有料道路(Turnpike)が造られた。

1803年のルイジアナ地方購入後、それまで、アパラチアン山脈以東に住んでいた人たちは西に向かって動き出した。

1812年戦争後、エリー湖とハドソン河を結ぶエリー運河が最初の公共プロジェクトによる運河として1825年に完成したことによって、東海岸周辺地帯ばかりでなく、オハイオから西の地方の繁栄に運河と有料道路のネットワークによるインフラは益々西に向かって延長された。

運河を利用した船による運搬は大量物資の輸送を可能にし、住宅や砦の建設に東部から大量の木材が運ばれた。

従って19世紀半ばの大陸横断鉄道の完成迄は運河及び河川による輸送はアメリカの発展に最も貢献した「インフラストラクチャー」であったと思われる。

※リフェレンス:

National Register Information System National park Service,2009

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スピルバーグの映画「リンカーン」に就いて

スティーブン・スピルバーグ監督になる「リンカーン」の映画を鑑賞に行った。

その筋書き(内容)は、リンカーンの人物描写か、南北戦争のアクションか、又は、リンカーン暗殺事件の事かと思いながら見たが、それらのいずれでも無く、殆どが憲法修正第13条の議会での討論、即ち、「奴隷解放条項」の討論がメインで、南北戦争を描きながら、リンカーン夫妻が愛する息子たちを戦争で失う場面の精神的葛藤を描写して、暗殺シーンやリンカーン死後の犯人逮捕の場面もなく、アメリカ議会や、選挙制度に詳しいる人でなければ、この映画はつまらないものに映ったに違いない。

筆者がその中で最も興味深く感じたシーンはリンカーン夫妻が馬車の上で取り交わす会話で、妻のトッドが、「戦争が終わったあとで旅行するとしたら何処に行きたいか」と尋ねる場面で、リンカーン「聖地」だと答えたところであった。

「聖地」とはキリスト教、ユダヤ教とモスレム共通の場所であるので、リンカーンがどの宗教を信じていたのかに興味が湧いた。

考えて見ると、リンカーンの名前が「エブラハム」と云うことなので、もしかすれば彼がユダヤ人ではなかったかと思って帰宅後、早速「ASK.COM」で検索を試みたところ、英語版のサーチ・エンジンには、否定的に書かれていて、父親が敬虔なバプティスト派に属していたが、リンカーン自身、一度も、「自分がキリスト教」であると語ったことがなかったが、1864年に、イリノイ州出身の牧師がホワイトハウスで、リンカーンに直接If he loved Jesus?(貴方はキリストを信じますか  ?)と訊ねたところ、「自分は元はキリスト信者ではなかったが、今では「キリストを愛しています」と答えたと書かれている。

今度は、グーグルの日本語版を検索すると「リンカーンはケンタッキー州のイングランド系ユダヤ人の貧しい開拓者の家庭に生まれる。「エブラハム」は正真正銘のユダヤ教の聖人の名前と明記されているのに驚いた次第。

この作品の監督のスティーブン・スピルバーグ(1946年生まれ)がウクライナ系のユダヤ人であるが、リンカーンがユダヤ人であったことに触れる事実はこの映画には見られなかったが、最後の場面での夫婦間の会話にリンカーンが「聖地」を訪ねてみたいと語る場面で、微妙に大統領の生まれについて密かに暗示するかのごとく語っているところが印象的であった。

アメリカがキリスト教国家である以上、その国の言わば「中興の祖」と崇められている人物が、実はユダヤ人であったことを少なくとも19世紀のアメリカ人は認めるわけにはいかなかったのではと思った。

アメリカ合衆国の複雑さは我々には解らない。

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